2012年5月1日火曜日

判例から(1)

グッとくる判例を目にしましたので、ご紹介します。

事案は、自分の子供だと信じて、Aを20年近く養育してきたところ、実は自分の子供ではなく、妻の不倫相手の子供だったことを知った夫(控訴人)が、妻(被控訴人)に対し、離婚及び慰謝料請求とは別に(これらについては別の裁判で認められました。)、20年間の養育費1800万円の返還を求めたものです。

平成21年12月21日、東京高等裁判所は、この夫の妻に対する請求を否定しましたが、その理由のひとつとして、次のように述べました。


控訴人とAの関係は、少なくとも同人が実子ではないことが発覚するほぼ成人に達する年齢までは父と息子として良好な親子関係が形成されてきており、その間控訴人は、実子という点を措いてみても、Aを一人の人間として育て上げたのであり、その過程では経済的費用の負担やその他親としての様々な悩みや苦労を抱えながらも、これらのいわば対価として、Aが誕生し乳幼児期、児童期、少年から大人への入り口へと育っていく過程に子を愛しみ監護し養育する者として関わりながら、その成長の日々に金銭には代えられない無上の喜びや感動をAから与えられたことは否定できるものではあるまい。また、養育を受けたことにつきAには何らの責任はない。このように見てみると、控訴人がAに養育費を投じた結果に是正をしなければ法規範の許容しない違法な不均衡状態があるなどと解することはできない。
  むろん、自らの不貞行為によりもうけた他人の子をそうとは知らせないままいわば騙して控訴人にわが子として育てさせた被控訴人の責任は軽くはないが、これにより控訴人に与えた精神的、財産的損害の回復を図る民事法上の法理としては不法行為法理が用意されているのであり、これにより責任を取らせるべきものである。」

皆さんは、どのような感想を持たれるでしょうか。

2012年2月1日水曜日

一筆啓上

2011年の年末にホームページを一新しました。
ホームページを作成して下さった方の勧めもあり、ブログのページも設けてみました。
が、何を書いていいやら分からず、1か月以上経ってしまいました。
さすがに、格好が付きませんので、月も新たになった本日、一筆啓上させていただきます。

色々なところで書いていますが、好きな言葉は、

 わたしの知らないところに
 いろいろな人生がある
 あなたの人生がかけがえのないように
 あなたの知らない人生もまた
 かけがえがない
 人を愛するということは
 知らない人生を知るということだ

という灰谷健次郎さんの詩です。
灰谷文学については、色々と賛否があるようですが、
それはさておき、この言葉は、自分にとっては座右の銘です。
とかく自分の価値観のみから物事を判断していた
大学を出たばかりの頃に出会いました。
出会った時、ハッとしたのを憶えています。

平たくいえば、「相手の立場に立って物事を考えろ」ということなのでしょうが、
もう少し深いような気がします。
その人の生まれた境遇、育った環境、現在置かれている立場、
自分で選んできたこと、選べなかったこと。
様々な要素が絡み合って、その人の今があり、言動がある。
その人の今の立場、今の言動だけを見て判断するのではなく、
その人の、これまで辿ってきた時に思いを巡らせよう。
それは知らない人生かもしれない。
でも、自分の人生だって、他人は知らない。
自分の人生が唯一無二なら、他人の人生だって唯一無二のはず。
他人の人生を知れば、理解できないことも理解でき、
許せないことも許せるかもしれない。

自分には、この詩が、このように聞こえました。

より多くの人が、知らない人生を知る努力をすれば、
もう少し、紛争は減るのではないかと思います。

知らない人生を知ったとしても、
どうしても許せないこともありますが・・・。